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悲しい唄

あんたがたどこさ

●あんたがたどこさ
「あんたがたどこさ」は、わらべ歌の中でも、代表的な手毬歌。手毬歌とは、幕末から明治期にかけた時代に生まれた歌で、手毬をつきながらリズムをとって、問いかける言葉と、それに答える言葉の掛け合いを歌う形式の、いわゆる「問答歌」である。
   あんたがた どこさ
 肥後さ 肥後どこさ
 熊本さ 熊本どこさ 
 せんばさ 
 せんば山には たぬきがおってさ
 それを猟師が 鉄砲で撃ってさ
 煮てさ 焼いてさ 食ってさ 
 それを木の葉で ちょいとかぶせ
    歌詞に肥後と熊本の地名が出てくるので、当初、熊本で生まれたわらべ歌といわれていたが、研究者の間では熊本発祥ではないという意見が多い。その根拠はというと、まず歌詞は熊本弁ではなく完全な関東方言であること。熊本弁は語尾に「〜さ」をつけない。次に、「せんば山」。確かに熊本には船場という地名はある。だが船場川はあるものの、船場山は存在しない。 では、それらの研究者がどこを発祥地と主張しているのかというと、武蔵国川越藩。現在の埼玉県川越市である。確かに川越には仙波町があって、今の地図には名称が載っているわけではないが、当時、川越城のある裏山を「仙波山」と呼んでいたという。 「川越説」を唱えた研究者による歌のできたあらましは、こうだ。江戸時代後期の幕末、薩長連合軍が倒幕のため関東を目指してやってきた。戊辰戦争が始まり、連合軍が川越の仙波山まで進行してきたときこと。普段みなれない、いかつい一団が町中をうろうろしている。その姿を近所の子ども達が不思議がり、「おじさん達、どこから来たの?」と尋ねた。たまたま尋ねられたのが熊本藩出身の官軍兵士で、そのときの子どもと兵士達のやりとりが、「あんたがたどこさ」になったという説だ。さらに、仙波山には、徳川家康を祀る「日本三大東照宮」のひとつ、仙波東照宮が置かれている。徳川家康といえば、いわずと知れた江戸幕府初代将軍だが、狡猾な策略を企てることから、ずる賢い動物の象徴である「たぬき」が、家康のあだ名である。 これらの事実と、お偉い学者さんが押すのなら、「川越説」が圧倒的有利と思いきや、実情はそうでもない。

線路は続くよどこまでも

 線路は続くよ どこまでも
 野をこえ 山こえ 谷こえて
 はるかな町まで 僕たちの
 楽しい旅の夢 つないでる
  線路は歌うよ いつまでも
 列車のひびきを 追いかけて
 リズムに合わせて 僕たちも
 楽しい旅の歌 歌おうよ

     日本に広まるようになったきっかけは、1960年アメリカで制作された「テキサス決死隊」というテレビドラマ。番組中の主題歌として、この曲が使われたのだ。軽快で力強いメロディーが評判になり、1962年、 NHK「みんなのうた」のなかで、『線路はつづくよどこまでも』の題名で登場。子ども達に愛唱される童謡になった。
  いかにも、「列車に乗って旅に出よう」という感じの、ほのぼの気分の歌詞だが、この曲が日本に渡ってきたのは、もう少し前。1955年(昭和30年)、『線路の仕事』という題名で紹介された。
 1番
 線路の仕事は 何時迄も
 線路の仕事は 果てがない
 汽笛の響きが 鳴り渡れば 
 親方は叫ぶ 吹き鳴らせ 

花いちもんめ


   関東地方の「花いちもんめ」の歌詞と遊び方は、次のとおりである。
 子ども達が、それぞれ2組に分かれて、手をつないで並ぶ。
前回勝った組が、 「勝ってうれしい花いちもんめ」 と歌いながら、前に進む。
負けた相手の組は、後ずさりする。
今度は負けた組が、 「負けてくやしい花いちもんめ」 と歌いながら、前に進む。
そして交互に、
「隣のおばちゃんちょっとおいで」
 「鬼がこわくていかれない」 
 「お釜かぶってちょっとおいで」
 「お釜底抜けいかれない」
 「座布団かぶってちょっとおいで」
 「座布団ぼろぼろいかれない〜」
   「あの子が欲しい」
 「子のコじゃわからん」
 「相談しましょ」
 と歌が終わると、それぞれの組が相談して誰をもらうかを決める。
決まった組から、 「き〜まった」 と叫ぶ。
再び手をつないで、
 「○○ちゃんが欲しい」 と一方の組が、相手の組の中のひとりを指す。
もう片方も、相手側に向かって、
 「××ちゃんが欲しい」 と返す。

リジー・ボーデン

●リジー・ボーデン
 実際に起きた殺人事件を、子ども達が歌にして口ずさんでいたら、それが童謡になってしまった!
イギリスの伝承童謡集で知られるマザー・グースのなかには、「子どもに歌わせるのはどうか」という、数々の問題作が収められているが、『リジー・ボーデン斧を手にして』は、問題作中の問題作だ。
 リジー・ボーデン
斧を振り上げて 父親を
40回めった打ち
 我に返って
その場を見てから
 今度は母を
41回めった打ち
  殺人事件のあらましは、以下の通りだ。 事件が起きたのは、アメリカ・マサチューセッツ州の高級住宅街であるフォール・リバー。1892年8月4日の朝、ボーデン家の父アンドリューと継母アビーが自宅で殺害された。そのとき家に居たのは、娘のリジーとメイドのサリバンのふたりで、アンドリューの死体を発見したのはリジーだった。
   サリバンの証言によると、アンドリューは朝から外出していて、家に戻ってきたあと、居間のソファでうたた寝をしていたという。彼の死体を発見したのはリジーで、大きな声を聞いたので、サリバンがあわてて3階の自室から降りてきたら、頭を斧で殴られて血まみれになったアンドリューの死体が、ソファに横たわっていたという。

ドナドナ

●ドナドナ
   日本で「ドナドナ」が知られるようになったのは、1964年(昭和39年)「フォークの女神」と呼ばれたジョーン・エバズが、「ドンナ・ドンナ」という名前で発売して、大ヒットとなって、多くの人の耳に届くようになった。翌年、NHK「みんなのうた」で岸洋子が歌い、子ども達の間にも、この歌が浸透した。訳詞は、安井かずみ。後に、小柳ルミ子、郷ひろみ、山口百恵など70年代を代表する歌手に歌詩を提供し、歌謡曲のヒットメーカーとして有名になる彼女だが、最初は、外国曲の訳詞を手がけていた。とりわけ岸洋子の「ドナドナ」の訳詞は秀逸で、原曲の詩の内容を意訳し、歌心を見事に再現していると、評価が高い。
 1番 
 ある晴れた 昼下がり 
 市場へ つづく道 
 荷馬車が ゴトゴト
 子牛を乗せてゆく
 *何も知らない 子牛さえ 
 *売られてゆくのが わかるのだろうか 
 ドナドナドナドナ  
 *悲しみをたたえ 
 ドナドナドナドナ